JBAソロコンテスト審査員

先日に「JBAとうきょう&かながわ中学生・高校生管打楽器ソロコンテスト」本選の審査員を務めさせて頂きました。JBAとは「公益社団法人日本吹奏楽指導者協会」の略称であります。

音源審査を通過された60人の生徒さん達の熱演、朝から夕刻までじっくり拝聴致しました。

全て聴き終えて残ったのは、心地よい疲れ。

個性溢れる演奏に満ちた時間は、あえて言うなら本当に「楽しく嬉しい」時間でした。

もはや、音を過不足なく並べるというレヴェルは超えており、フレージング、音色、陰影、立体感、様式etc. それらがそこにあり、且つ、生徒さん達の人としての発露さえ感じる演奏もありました。それがとても嬉しかったです。

そしてそれが技術的に優れている生徒さんのみならず、ミスが起こっても果敢に音楽を発信しようとする生徒さんがほとんどで、「間違えないようにする」を演奏から感じることはありませんでした。皆さんが「自分のやりたい事をやる」事ににフォーカスされていたのではないでしょうか。

こういった事は、単に演奏技術の指導だけでは到底踏み入る事のできない世界だと思います。指導あたられた先生方には深く頭が下がります。私はこれからも、こういった教育活動や部活動のお力添えをしていきたいと思いを強くしました。

最後に、中学生と高校生共に、審査員の名を冠した賞を授与させて頂けるのですが、私は抑制のある感情表現、しかしそれがかえって、作品の内面の魅力をあぶり出す演奏をされていた方に送りました。

優しさと悲しさが同居するイ短調、その深い葛藤に私は涙を禁じえませんでした。

悩みは同じでも解決方法は違う

トロンボーンの個人レッスン、お題が6人中3人が、中低音域の音がいわゆる「潰れて」しまう内容でした。

悩みは似ていますが、望みに向かう解決方法は各々違った方法。

歯並びや噛み合わせ、唇の形状や顎や表情筋の動かし方、アンブシュアのスタイルや息の流し方、何より自分の使い方が違うのだから当然ですね。

吹いてもらいながら、アンブシュアと息のバランス、身体の使い方をじっくり観察。そして望んでいる音や音楽について話し合う。

可能性を示し、方向を導く事で、自ら歩み進んでいく姿。

本当に素晴らしいです。

この、お題は同じでも異なる方法で望みに近づいた事、改めて記したいと思います。

雑感 ヨルゲン・ファン・ライエン×マクミランの協奏曲

先月にRCO首席トロンボーンJörgen van Rijen をソリストに迎えた、都響定期演奏会を聴きました。

その時の心。

何度か文章化を試みたのですが、このままを残したい思いました。

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美しい響きもテクニックも、それが音楽のための手段に過ぎないという事。

それすら思い浮かばず消え去り、心の中のもっと奥深く、もしかしたら心ではない何かに、音楽が触れて震えている。

オーケストラの響きの中をトロンボーンソロが立体的にさまよい、時に加速し立ち止る。

トロンボーンセクションと向かい合った掛け合い、私はその辺りからどんどん胸が苦しくなってきた。吐露、叫び、嘆願、希望。様々な感情がないまぜに塊で飛び出し、それが空間を飛び交う。

音のない声。

形式は世界と感情を呼び覚ます装置だった。

私は震えていた。

力を抜く?力を使う?

あるトランペット奏者の方とのレッスン。

高音が思った感じに上手く鳴らない、開いた薄っぺらな音になってしまうというご相談でした。

音というのは面白いですね。

形も見えないのに「薄い」などと表現する。

もちろん、仰りたい事は十分に伝わってきますよ。

何はともあれ、聴かせて観させて頂きました。

高音のFからGにかけて、しっかりと音が響いています。

しかし、もっとあたたかで豊かな響きを望んでおられるようでした。

なるほど。

私は「アンブシュア全体の力をより使う」「閉じた唇の中心への圧縮を意識する」事をご提案しました。

「え!?」という表情をされました、が試して頂けました。

ご自身のアンブシュアの理解が深い事と、求めている響きが明確だった事もあり、すぐに豊かで丸みのある響きが鳴り響きました。

望みの音に近づいたようですが、不可解な表情で「あー?!」と。

お話を伺うと、ご自身では「唇の力をより抜こう」とお考えになっていたようです。

私がご提案して実践して頂いたのは「より力を使う」方向。

イメージされていた音を吹くための「息」と「口」のパワーバランス、力の使い方の方向を掴んで頂けたようです。

これからが楽しみですね。

*あくまで個人様の奏法を観察した上でのパーソナルレッスンです。

七草粥

スーパーで便利なセットを購入したので七草粥を作りました。

お米から仕込んでいる間に七草の下ごしらえ。

頂き物の柚子をあしらい、40分くらいで塩梅よく仕上がりました。

塩というのは偉大だな。

食材の味わいを存分に引き出してくれますね。

皆様の無病息災を願って。

現在過去未来

ようやく年賀状も書き終えてホッとしています。

字も下手だし、気の利いた事など書けないけれど、頂いた年賀状をあれこれ思いながら読むのは楽しい時間ですね。

ふと考える。

よく過去は変えられないというけれど、その変えられない事実をどう受け止めるかは変えられる。

今の在り方や未来へどう向かうかによって、過去は未来と同じように自由なものになるんじゃないかと。

僕はメモはほとんどとりませんが、考え事をする時に落書きを万年筆でするのが好きなんです。

万年筆のペン先を太字に変えたら、なんだか考え方が変わったのかな。

一期一会

夏に一度だけレッスンした方からお礼のお手紙とお品が届きました。

進路が決定した報告と、レッスンで長年の悩みだった事が解決し、気持ちよく楽器が吹けるようになった事。そしてこれからも音楽を続けていきたいというお気持ちが綴られていました。

これからも音楽を続けていく、あなたのその気持ちが素敵ですね。

そのお手伝いが少しでもできて、僕も本当に嬉しいです。

ありがとう。

新潟でのレッスン

11月30日と12月1日の2日間、Body Thinkingレッスンで新潟県に伺いました。

今回のレッスンも素晴らしい変化の連続だったのですが、皆さんの望みがどんどん具体的になっている事や、何よりその望みのほとんどが「〜できないからどうしたら?」ではなく「〜したいのですがどうしたら?」という事に変化しているという事です。

レッスン冥利につきますね。

閑話休題。

新しいやり方や思い方を試す時、それは大きな「違和感」を伴う場合が多いです。人にとって「違和感」は基本、あまり気持ちの良いものではありません。それに対して、いつも行う「習慣」は新しいやり方と比べると前のやり方、自分とって慣れ親しんだ、安全で快適なものです。

レッスンで新しいやり方や思い方を提案し、それを試してみて、上手く自分の望み通りの結果が得られても、そのやり方の「違和感」を嫌がってしまうと、慣れ親しんだ前のやり方に戻ってしまう場合があります。

ちょっと残念ですよね。

私はレッスンの時に、その方の望みそのものを受け止め、言葉によるコミュニケーションを通して探求し、それを共有する事を大切にしています。

その事によって、その時その空間が安心安全なものになるよう、気持ちを注いでいます。

その場が安心安全であれば、違和感を伴う新しいやり方や挑戦を、思い切り出来ると思うからです。

そしてともに喜び、認めて、その道を歩いていけるよう背中を押して、サポートしたいと思っています。

今回の皆さんは継続的にレッスンを受けてくださっています。

私のレッスンの場では望みを伝え、思い切って挑戦して、新しいやり方を獲得する事ができる、そんな事を覚えてくれているのかもしれません。だからこそ、私に伝えてくれる望みが「〜したい!」というポジティブなものに変わってきたのかもしれません。だといいな。

透き通るような音を部屋いっぱいに響かせたフルートの方。膨らみのある豊かであたたかなフォルテを響かせたトランペットの方。森に響くようなピチカートを聴かせてくれたコントラバスの方。身体全部を使って素晴らしいドライブ感を楽しませてくれたドラムの方etc.

また明日から頑張れます。

ありがとうございました。

軸骨格の構造と プライマリーコントロール

人体の軸骨格は頭蓋、脊椎、胸郭から成り立ち、頭蓋は脊椎のうちの第一頚椎(環椎)の上に乗っている。脊椎は頭蓋の下から頚椎、胸椎、腰椎、仙骨、尾骨と分類され、胸郭は胸椎、胸骨、肋骨で構成される。頭蓋には舌骨や咽頭骨格、内耳の骨が含まれ、プライマリーコントロールにおける「軸」という視点では骨盤も含まれる余地もあると、個人的には思う。

プライマリーコントロールとは頭と脊椎の関係性、頭の在り方と他の身体部分との関係性と考える。環椎の上で頭蓋が調整され、身体に対して動的なバランスをとり続ける事が、他の身体部分の適切な動きをもたらし、心の在り方にも関係する。またこれは相互に影響し合う関係にあるとも言える。コントロールとは自らの意思で手を下す、作り出すようなものではなく、そもそも人間に備わっているもので、起こるものと考える。これは自己の望みやインヒビションとも関係する。

昔の記憶、音楽って。

私が小さい頃、親戚の家で誕生日会があり、歌を歌ったことがあります。

なんの歌かは覚えていないのですが、小学1,2年生くらいの時ですから、たぶん他愛のない童謡でだったでしょう。

何もプレゼントを持っていなくて、どうしたらいいか分からない私に母が、「歌を歌ったら?」と言ったような気がします。

別に歌が上手い訳ではなかったと思いますが、歌うのは好きでした。そしてその時、歌っていた時に見ていたものはよく覚えています。

部屋のカーテン、タンス、照明、そして親戚の人が笑顔で聴いてくれている姿。

僕はその時、ただ小っ恥ずかしかったのですが、喜んでくれている姿を見てなんだか不思議な気持ちになりました。

たぶんこれが、僕の初めての音楽的な経験だったのだと思います。